080202

村に灯をともす

中江智映さんとネパールの仲間の「Chachalung」村 『電化計画』 その 3

3. 「金の魔力」と「空から夢が降りてきた日」そして「完成」
 信用してカトマンズに残したプロジェクトチームの1人が、村人から少しずつ集めた発電所の建設資金を着服していた事が発覚しました。彼は着服が発覚すると同時に姿を消し、後には巧みに偽造された領収書が残されていました。その被害総額は「Rs.182,584.50(40万円弱)」村人 1 人当たりの平均年収に換算すると約 10 年分に相当しました。当然、彼も村人です。村には母親と幼い妹がいます。Chachalung(チャチャルーン)は、名前こそ「村」ですが日本の村とは少し意味合いが異なります。一つの集落が村の単位で独立し自治区のようなコミュニティー(共同体)を形成しているのが Chachalung(チャチャルーン)村です。その共同体の金を着服すればどうなるか、彼も十分に理解していたと思います。彼は計画を進める中で、カトマンズと村の明らかに違う生活や、その格差を目の当たりにしました。話では聞いていてもショックだったでしょう。しかも、その彼の目の前には「金」がありました・・・。 それが、彼をこの行動に走らせてしまったと思っています。私はこの計画においてサンチャを含む全ての村人に「現金」を渡す事を避けてきました。 金の魔力は全ての者を狂わせてしまうからです。しかし、村の金なら、その魔力に狂わされる事は無いだろう。そんな甘い考えが私とサンチャにありました。それがこの事件を招いたと言っても過言ではありません。彼が着服した金は大金でした。しかし、一生遊んで暮らせるような金額ではありません。それはすぐに使い切ってしまうでしょう。その時、彼に残るものは・・・。 この事件は、この計画の中で一番反省しなくてはならない点でした。それと同時に、全ての「草の根開発援助」において共通する課題ではないかと、私は思います。

 村人平均年収の 10 年分に相当する被害額ですが、その失ってしまった金額より、更に事態は深刻でした。サンチャとプロジェクトチームは、村人からの信用を失ってしまったのです。村人の中からは「サンチャもグルに違いない」そんな声すら聞こえる事もありました。サンチャとプロジェクトチームは、会計と領収書の全てを村人に公開して「Rs.1 でも合わない時は、どんな責めでも受ける」と言ったそうです。しかし、一度失ってしまった信用はそう簡単に取り戻せません。当時、村では川から発電所までの導水路が建設されていました。その工事に人が集まらない日々が続いたと聞いています。それでもプロジェクトチームだけで、時にはサンチャ1人でも工事を進めたそうです。「−村に電気を−」 その一心で、それ以外の全てを犠牲にして、サンチャとプロジェクトチームは今日まで働き続けてきました。そんな彼らが、この時どんなに悔しくて辛かったか、そして、腹立たしかったか・・・。 私には想像すら及びません。しかし、そんなサンチャとプロジェクトチームの行動と姿勢が、村人の信用を少しずつ取り戻してゆきました。失ってしまった金も発電所の建設費に計上され、村で負担する事になりました。

 ちょうどこの頃、政府とマオイストの間に平和協定が結ばれました。
そして待ちに待ったヘリコプタがジリを経由し村に資材と発電機を運んできました。しかし、谷間の村に大型のヘリコプタが着陸できる場所はありません。村はずれの丘の頂上に着陸しようとするヘリコプタのために、「計画の賛同者」「計画を見送った者」一切関係なく総出で、着陸の邪魔になる岩を退かし、木を倒し、枝をはねて、ヘリポートが造られました。着陸したヘリコプタか

待ちに待ったヘリコプタ
(チャータ代金 Rs.200,000 : 40 万円)

らサンチャが降りてきました。作り話のようですが、そこはサンチャが私に「この村で電気を使えるようにするにはどうすればいいと思う?」と切り出した場所であり、この計画がスタートした場所でした。その日から 4 年半が過ぎていました。

 丘の上に降ろされた総重量が 400 kg を超える発電機を、皆で代わる代わる御輿を担ぐようにして、数日かけて丘から降ろしました。ある村人が、発電機が到着した日の事を「空から夢が降りてきた日」と表現しました。「降って湧いた幸運」的な他力本願と「努力の上にかなった夢」的な達成感が、絶妙に交じり合った何ともChachalung(チャチャルーン)村の人らしい表現だなと今も思います。

  

ヒト一人分の幅しかない道を担ぎ下ろしました

 そして、この日から工事は急ピッチで進みました。発電所の建物は、発電機を設置した上に建てる予定でしたのでまだ出来ていません。当番を決めて建物が完成するまで発電機の横で寝泊りしました。導水路も完成し、取水口から導水路を経由した水が発電機のヘッドタンクに注がれました。

 最初は泥や小石を含んで真茶色だった水ですが、時間と共に綺麗な澄んだ水になって行きました。そして、その水が綺麗になった頃、村には電柱が建ち、村を縦断する送電線が張られていました。サンチャやプロジェクトチームは工事を指揮しながら、足りない部品や資材を手配したり、日々発生する色々な問題をかたづけたりと、今まで以上に忙しく動き回りました。

「右写真:難工事の末に完成した導水路(350 m)から、ヘッドタンクに水が注がれました、この泥水も数ヵ月後には透明な澄んだ水に」

 そして、プロジェクトは発電機の試運転を開始する直前まで来ました。試運転が無事に終了すれば、残すのは各家々への配線と屋内工事だけです。
 しかし、私はそれを目前にして日本で事故に遇い入院していました。村での工事はストップしました。発電機を稼動させるためには、発電機、ELC、ダミーロードの接続と設定が必要だったからです。それは私の仕事でもありました。病院のベッドの上でジリジリとした時間を過ごし、退院してもヒマラヤの奥深い村へ行けるほどに回復するまでには、それなりに時間がかかりました。

 役に立たない自分に腹が立ち、村に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。その間の事でした。これまで 2 つの大きな嵐と、ここに紹介しきれないほど発生した問題やトラブル、その数々を解決し乗り越えてきたプロジェクトチーム、彼らはとても逞しくなっていました。なんと彼らは、発電機を稼動させ、各家々への配線と屋内工事に至るまで、その全てをやってのけたのです。英文のマニュアルを読み自力でやれるだけやり、解らない箇所は何日も歩いて町へ行き、エンジニアに訊きながら、最後にはエンジニアを口説き落として村に連れて帰り、その知識を吸収しながら・・・。

村を横断する送電線 1.5 km
(終点と避雷針)

 2007 年 11月、5 年半をかけて発電所は完成しました。私はその知らせを電話で受け取りました。正直に言えば、発電所が完成した日に立ち会えなかった事は非常に残念でした。しかし、彼らがネパール人のエンジニアの力を借りたとはいえ、自力で発電所を完成させたことがなによりも嬉しかったのを覚えています。

初めて村に灯がともりました(発電所にて)

  この計画を通して、私の中に「本当に出来るのか?」「諦めてしまうのではないか?」どこか、彼らを信じきれていなかった部分が有ったのは確かです。しかし、反して彼らはやり遂げました。電話口でサンチャも興奮していました。周りにいるメンバー達の声も聞こえました。英語が苦手な私とサンチャです。互いの母国語を使っても言い表せない、この嬉しさが表現できず、ただ「Thank you!Thank you!・・・」そう繰り返し続けているばかりでした。彼らにとっても、私にとっても、本当に長い 5 年半でした。

 発電所の竣工から 1 ヶ月ほど遅れて、私は現地に入りました。そこで、私を迎えてくれたのは、完成した発電所、達成感でいっぱいのプロジェクトチーム、嬉しそうに灯を見る住人の笑顔でした。本当に「よかった」その一言でした。しかし更に私を驚かせたものがありました。それは発電所の管理運営や維持のために立上げられた電力会社「SHRE・CHACHALUNG・ COMMUNITY・ HYDROPOWER」(チャチャルーン・コミュニティー・ハイドロパワー)の存在でした。(中江智映さん)(つづく)

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