080123

村に灯をともす

中江智映さんとネパールの仲間の 「Chachalung」村 『電化計画』 その 1

 先に「華の庭先にて」でご紹介した中江さんが、とうとうやりました。5 年半の長い時間をかけて、ネパールの僻地寒村に「発電所」を日本人の中江さんたった一人で、村人たちとともに造り上げました。昨年 ( 2007 年 11 月 ) の晩秋のことです。以下はその報告・記録です。「華の庭先」で、「草の根開発援助」の『方法』を、『原点』を、熱く語っていただきました。

1. 「出会」と「最強素人集団」
 私は、1998 年トレッカーとして始めてネパールの地を踏みました。ネパールに来たのは、会社の大先輩に「俺、エベレストが見たいんよ!なぁ一緒に行ってくれへん?」と誘われたのがきかっけでした。初夏の穂高連峰、涸沢カール、残雪の上に設営したテントの中のことでした。

 初めてこの目で見たヒマラヤの山々は神々しく言葉にできないほどすばらしいもので、私の想像の限界をはるかに超えるものでした。しかし、私の興味はネパールの山々から、その山中で営まれる人々の生活に移っていきました。そのきっかけが、サンチャ・ラム・ライ君との出会でした。私の参加したトレキングツアーを企画した某ツアー会社が雇ったポーターの中に彼はいました。

 彼にしてみれば言葉も解らないのにやたら話かけてくる変な外国人だったでしょう。しかし、何故か互いの考えが理解できるようで、このツアーが終了するころには、気持ちが通じあえる「第三言語」のようなものが出来ていました。

(写真左 : 電化プロジェクトが始まるきっかけになったソーラーライトのパネルを掃除するサンチャ・ラム・ライ)

 翌年から、私はサンチャの村(Chachalung・チャチャルーン)に通うようになるのですが、その村はジリから徒歩で 6 日、ルクラから 4 日、トゥルーミングタールから 5 日、パープルから 4 日と、どこからアプローチするにしても「遠い(深い)」位置にあり、トレッカーが通るルートからも外れていました。谷の急斜面に拓かれた小さな段々畑と数頭の家畜を飼う自給自足の戸数 160戸、人口 900 人のライ族の村でした。


チャチャルーン村
(斜面に小さな家屋が点在しています)

 ある日、突然やって来た変な外国人を最初は遠巻きに見ていた住人でしたが、数回と通う頃にはアレコレと面倒を見てくれるようになり、コミュニティーの中にも入れてくれるようになりました。電気やガス、水道すらも無い、不便極まりない本当に何も無い小集落ですが、ネパールの中にあってネパールの標準とどこか違う雰囲気や住人達の暖かさにすっかりハマってしまい、滞在する日数も回数を重ねるたびに長くなっていきました。

 何回目の滞在中の事でしょうか、突然一人の男が、何やら訊きたい事があるとの事で、私の滞在するサンチャの家にやって来ました。彼の名はロブクマール・ライ、私と同い年で、村で最初に SLC をパスした村一番の博識(インテリ)です。彼が「アレが何故、壊れないのか教えてほしい。」と指をさした先には、いつも私の面倒を見てくれるサンチャへの恩返しにと、数年前に私が設計し、部品を調達して設置した白熱灯換算で 20 W のソーラーライトがありました。真剣な顔で「同じ物を1万ルピー( 2万円)で買ったが、これより暗くて半年で壊れた、何故これは壊れないし明るいままなのか?」と真剣な顔で問う彼に、私はこのライトがこのChachalung村での使用条件を考慮した計算に基づいて設計し、更にその設計にも余裕を持たせてある事、それでも、3 年が使用限界であろう事、そして、私が電気技師では無く、その知識は独学で得た事を伝えました。次の日、私はサンチャに連れられ村を一望できる小高い丘に登りました。頂上から村を見ながらサンチャが切り出しました「この村で電気を使えるようにするにはどうすればいいと思う?」。私は「水力発電なら可能かも・・・」。そこで、一旦言葉を止めました。

電気に関する青空勉強会?
( 発電機水圧管の取り付け方だったと記憶しています)

 私が初めてネパールを訪れてから、知り合ったネパール人は当然サンチャや村人だけではありません、この村以外に訪れた場所もあります。 そこで出合った人々が語る夢「道路を作りたい」「幼い兄弟達を学校に通わせたい」「村に小学校を作りたい」自分たちではどうしようもない、助けて欲しい・・・ よく聞く話です。 彼らから見れば外国人は大金持ちで、その大金持ちに物をねだる・・・ いえ、当人達には「ねだる」そんな意識は無いでしょう。

 「持っている者が、持っていない者に分けあたえる」良く言えば「助け合う心」(悪く言えば「人頼み人頼り」ですが・・・) そんな心が無意識に根付いているから、そう私は感じます(中には騙すつもりで近づいてくる輩が居ることも事実ですが)。彼らは自分より辛い境遇にいる人を見かければ助けようとします「当たり前だろ」そんな感じで。彼らから見れば「持っているのに分け与える事をしない」そんな外国人のほうが変に映っているのかもしれません。しかし、そうは思っていても、続けば嫌気がさしてくるのも事実です。この日まで、私はこの村で「ねだられる」そんな事は一度もありませんでした。

 「水力発電なら・・・ 」と言いかけて黙る私を見て察したのか、サンチャは言いました。「水力発電、村には電気に関する知識が全く無い、どうすれば良いか見当も付かない。学の無い私には判断できないが、昨日お前と話をしたロブクマールが、あの日本人の知識があれば壊れないライトが作れるはずだと言う。電気の知識は無いが水力発電機が高価な物だとは知っている、金は村が出す。だけど、村だけで挑戦すれば失敗するかもしれない。失敗だけは出来ない、何故なら村に二回目を挑戦する金も力も無いから。我々は何から始めたらいい?お前の知識を分けてくれ」。 てっきり物をねだられると思っていた私には想像すらしていなかった相談でした。彼らは「物」ではなく「知識」が欲しいと言うのです。しかしそれは、物をねだられたほうが楽・・・そんな相談でもありました。サンチャは即答できない私を急かす事も無く「考えてほしい」と言うと話を終えました。私の頭の中は色々な考えが巡っていました。 こんな得体の知れない、ましてや電気技師でもない外国人を村人は信用するのか? 決して豊かでない村人のそんな大金を使って失敗したら? そんな事より、そもそも水力発電所なんていったいどうやって作ったらいいのか? いくら考えても答えなど出るわけが無く、ただ「困った」の一言でした。しかし、ふと思いました。首都から遠く離れたこの辺境地域で、何をしてくれるのか、いつ来るかも解らない国の助け、それをただ待つだけしか方法がなかった彼ら。しかし、それを止め自らの力で変わろうと思い始めた村、ここで私が「出来ない」と返事をすれば、それが消えてしまうかもしれない・・・ と。

 次の日、昨日は無理な事を言ってしまったと思ったのでしょう、心配そうな顔で、そしてバツが悪そうな顔で私を見るサンチャ、ロブクマールと他の数人(後のプロジェクトチーム)。 私は、彼らを見て言いました。

 「やるか!」。

(写真右 : いろいろな現地調査をプロジェクトチームメンバーで行いました)

 バツが悪そうな皆の顔がパッと明るい笑顔に変わりました。そして、ここに最強の素人集団「Chachalung村電化プロジェクトチーム」が発足し、日・ネ素人集団による「Chachalung村電化計画」が、めでたく? 船出をしたのでした。(中江智映さん)  (つづく)

 後日談・・・

  ・私      「ところで、こんな計画をイツ村で話し合ったんだ?」
  ・チーム一同  「ん? あぁ、それはこれからだ、大丈夫!まかせとけ!」
  ・「 船出早々、大嵐が来る」 そんな予感でした。

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