忘れ得ぬ山岳部の先輩たち
鈴木敏夫さん

(May.8.2005)

 私にとって、山岳部に入部して最初聞いた先輩の名前は、敏さんこと鈴木敏夫先輩でした。
後年、私が結婚する際、お仲人をお願いした、恩人でもあります。
 鈴木敏さんは、第二次世界大戦末期の昭和19年に青山学院が生き残りのために創られた、青山学院工業専門学校土木建築科第一期生で、私はその建築科第四期生ですから、大変親しみを感じてました。
 しかし、私たちが入学した昭和22年当時は、戦争も終わり、青山学院は文科系が復活して、我々工科系キャンパスは横須賀にあった旧海軍工機学校跡移りました。
 そこは、日本海海戦の伝説的戦艦「三笠」が置かれている記念公園近く、海に囲まれた素晴らしい環境でしたが、山とは遠く離れた所でした。しかし、学生同志は纏まりが良く、建築科の山岳部員は、利根川、福井、下山、小生、一年下に中丸、室町、矢島、山下、高梨と山岳部中の一大戦力でした。横須賀組を代表してリーダーの利根川が、もっぱら敏さんのご指導を仰いでいました。
 この利根川が人柄の良い親分肌で、その彼が兄貴の様に尊敬して接した敏さんのことですから、私たちにとっては当然伝説的存在でした。
 夏山合宿検討会のため、渋谷キャンパスの部室で初めて会った敏さんは、既に髭も濃く貫禄充分な大先輩でした。当時の我々には、先輩と言えば神様でしたが、敏さんは眼光が鋭いものの何故か優しく、親しみ深い方で、その印象は終世変わりませんでした。
 私の家は、文京区で戦災に遭いましたが、卒業の頃には本駒込に戻りました。敏さんのお住まいが区内氷川下だったので、歩いて良くお邪魔しました。
お宅には、てい夫人と二人のお子さん、そしてご両親、お二人の妹さんがおられました。  奥さんのてい様は、主婦の友社にお勤めでお料理のご担当、お料理の専門家でした。小生、良くお食事に招かれ、ご一家の皆さんと家族同様にお付き合いさせて頂きました。お母様は、観世流梅若派能楽宗家の娘さんとか(ずっと後で知りました)実に品の良い、お奇麗な方でした。
鈴木家は、典型的なクリスチャン ファミリーで、私の理想的家庭像でした。
 結果、お仲人をお願いすることになり、結納も鈴木家でキリスト教式に行いました。こうして山の先輩は、人生の先輩でもありました。
 敏さんの思い出は、正に私の人生史と重なります。続けたいと思いますが、最近敏さんを紹介する文章に再会したので、ご覧下さい。「青山学院の歴史を支えた人々ー鈴木敏夫ー」