忘れ得ぬ山岳部の先輩たち

小島隼太郎さん

(Apr.6.2007)

 小島隼太郎先輩は、正に神様でした。しかし、面と向っては言えなかったものの、我々は「隼ちゃん」「隼ちゃん」と親しみを込めてお呼びしていました。
 多くの先輩の中でも、私は入部当初から小島さんとは、最晩年まで山行を共にする機会が多く有りました。昭和24年頃の丹沢でのキャンプから始まり、三つ峠岩登り、志賀高原や福島・栗子でのスキー等々でした。
 私はOB会の幹事長になってからは、会の親睦のために何度か家族旅行を企画ました。その際、小島さんは皆勤に近い状態でご参加下さいました。そうした時など、夕食後の親睦会で若いOBの子供たちが賑やかに騒いでいるのを、ニコニコと眺めておられる好々爺ぶりが、印象に残っています。
 そうしたご縁で、前回にご紹介した鈴木敏夫さんにお仲人をお願いした私の結婚式では、主賓は小島隼太郎・雪子ご夫妻にお願い致しました。

 たまたま今春、横浜美術館で「小島烏水 西洋版画コレクション展」が開催されましたが、烏水さんは、小島隼太郎さんのお父上です。そうしたご縁で、この展覧会開催を知った山岳部OB仲間から電話を貰いました。改めて日本山岳会「山岳・小島烏水記念号」(昭和24年発行)を読んでいましたら、烏水さんのご命日が、昭和23年12月13日だったことが判りました。
私が結婚したのが昭和33年12月13日だったので、この日は、まさに烏水さん10年目の祥月命日であったわけで、大事な日にご夫妻にご出席頂いたことを知り、申し訳ないことをしたと今頃になって恐縮致しました。

 私の山岳部現役の頃は、小島さんは部室での部会などに時々来られましたが、合宿の反省会などではご指摘が厳しいく、震え上がったものでした。そうした後の山行では、まずいことをすると、「隼ちゃんに見付たったら大変だぞ」と戒め、お灸は何時迄も効いていました。
 現在、山岳部ではこうしたこうした怖い人はいません。寂しいことです。尤も、こんな先輩がいたら、現代の若者は退部しまうでしょうけど。

 その小島さんに特にお世話に成ったのは、山岳部初のヒマラヤ遠征の時でした。この計画は、現在カトマンズで「華」を経営している戸張君が中心でした。目標がヒマルチェリに決まると、小島さんはお会いする度に、何とか遠征を実現させたいので、戸張君達に協力してやって欲しいと言って居られました。そして、自らはOB会の長老達の説得に当たって下さいました。更には、鈴木敏さんの居られたOB会関西支部にも、協力要請の為に遠征隊長役の栗林OBを伴って、同行して下さいました。
この関西行きは、私にとっても忘れがたい思い出となりました。OB幹事長となってから、初めてお会いする大先輩ばかりの在阪のOBには、ご挨拶するとても良い機会になりました。
その夜は、六甲山にある三井物産の寮に泊まり、翌日は六甲山から有馬温泉まで歩き、全員で温泉に浸かりました。
やはり小島さんが行かれたので、多くの先輩にご出席頂けました。遠征資金の寄付も、予想以上に集りました。ここでも、隼ちゃん大明神でした。