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忘れ得ぬ山岳部の先輩たち
小島隼太郎さん (Apr.6.2007) |
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小島隼太郎先輩は、正に神様でした。しかし、面と向っては言えなかったものの、我々は「隼ちゃん」「隼ちゃん」と親しみを込めてお呼びしていました。 たまたま今春、横浜美術館で「小島烏水 西洋版画コレクション展」が開催されましたが、烏水さんは、小島隼太郎さんのお父上です。そうしたご縁で、この展覧会開催を知った山岳部OB仲間から電話を貰いました。改めて日本山岳会「山岳・小島烏水記念号」(昭和24年発行)を読んでいましたら、烏水さんのご命日が、昭和23年12月13日だったことが判りました。 私の山岳部現役の頃は、小島さんは部室での部会などに時々来られましたが、合宿の反省会などではご指摘が厳しいく、震え上がったものでした。そうした後の山行では、まずいことをすると、「隼ちゃんに見付たったら大変だぞ」と戒め、お灸は何時迄も効いていました。 その小島さんに特にお世話に成ったのは、山岳部初のヒマラヤ遠征の時でした。この計画は、現在カトマンズで「華」を経営している戸張君が中心でした。目標がヒマルチェリに決まると、小島さんはお会いする度に、何とか遠征を実現させたいので、戸張君達に協力してやって欲しいと言って居られました。そして、自らはOB会の長老達の説得に当たって下さいました。更には、鈴木敏さんの居られたOB会関西支部にも、協力要請の為に遠征隊長役の栗林OBを伴って、同行して下さいました。 |
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