050904

3ヶ月休戦
 ネパール観光を脅かし、年間最高50万人であったお客さんを現在の20万人に極端に減らした主な原因は、マオイストの武力による反政府活動によるところが大きいということは、ご承知のことと思います。

 先に記しましたが、1990年に先の国王(ビレンドラ国王)が政権を市民に移譲し、民主憲法の下に政党政治が行われてきました。しかし、政党政治が腐敗したのと政党間の激しい権力闘争によって、1996年に共産党の「毛沢東主義派」(マオイスト)が地下にもぐって武力による「反政府闘争」を始めました。そして、「先の国王の不幸な事件」、本年2月の現国王(ギャネンドラ国王)による「王政復古?」など、まさにネパール史上「激動の15年」といっても過言ではありません。そして、その激動はなお続いています。
 王政でも旧政党勢力は現存し、いまでは連合して「反国王」すなわち現行憲法の「立憲君主制」の否定の闘争をつづけています。

 9月3日、マオイストは声明を出し、同日から3ヶ月間の無条件休戦を「一方的」に宣言しました。本年2月に全権を掌握した国王に対し、反発を強める旧諸政党との「連携」を模索した動きといえるでしょう。ネパール最大与党であった「ネパール国民会議派」が党の綱領から「立憲君主制支持」を削除するなど、国王への抵抗姿勢を強めてきたことを同派(マオイスト)は評価していました。「旧政党連合」に同調して、「政治危機を終えるのに好ましい環境を作る」のを目指そうとしています。

 マオイストの声明は一方的なものです。旧諸政党が作る「7政党連合」は、同派の休戦の「順守状況」を見極めつつ、同派と「組みすべき」かの話し合いを進めようとしています。同派の武力闘争のとばっちりで、多くの市民が犠牲になったのは事実です。

 しかしながら、多くの市民は、かつての「政党政治」を嫌悪しています。かえって現「王政」を支持しているのも事実です。『民主主義を失うのは残念です。しかし腐敗と暴力はもっと危険です』。政党政治の方が王政よりも『危険度』が高いということでしょう。市民は理念ではなく「安全性」で判断しています。つまり「本音」です。ずいぶんと痛い目にあいましたから。

 3ヶ月という期限付きですが、国軍(国王の軍隊)との休戦は護られるでしょう。この秋の観光では、武力による危険の問題はまったく無くなったといっていいでしょう。
 1990年の民主化から今日までの15年間に反政府デモ、武力闘争、外出禁止令、非常事態宣言など政治がらみの事件は数多く起きていますが、観光のお客さんが巻き込まれたことは「皆無」でした。今になれば、ネパールは「安全な観光旅行ができていた」ということができます。意地悪じいさんが言うように、「たまたま、そうであった」のかも。
 
 マオイストはこれまでに何回も、しかも公式に、「観光のお客さんには危害を加えない。だから来てほしい」と声明を出していました。しかし、日本の新聞で、またネパール発信のウエブサイトで紹介されたことは、けしてありませんでした。その結果、「50万人が20万人」になってしまいました。