050709

大帝国連合への挑戦
  ある辞書によると、「帝国主義」とは『政治、経済・軍事などの面で、他国の犠牲において自国の利益や領土を拡大しようとする思想や政策。狭義には、資本主義の歴史的最高段階として一九世紀後半に起こった独占資本主義に対応する対外膨張政策』とありました。

 スコットランドのグレーンイーグルスで「主要国首脳会議」がありました。出席国の顔ぶれをみると、いつもながら複雑な気持ちになるのは私だけではないでしょう。

 圧倒的な経済力を保有して、その力で政治的影響力を発揮できる国々です。先の大戦の時には小国で、この60年に大国になってこの会議に出席してきた国はまったくありません。これらの国々は60年前にも「主要国」で、植民地をもつ「大帝国」でした。そんな国がいつまでも国際社会に君臨して、ことを決しているのです。  

 先の大戦は植民地の奪い合いの戦争といってもいいでしょう。帝国主義国どうし(強者と強者)の争いでした。巨大な軍事力のぶつかり合いの戦いでした。軍事力の大きさが勝敗を決めることになりました。 そして冷戦時代は、軍事力の「在庫数」で争いました。それが「抑止力」として安全が保障できると考えられていました。いまでも主要国の多くはそれを引きずっています。「もてる国」は、つねに『他国の犠牲を顧みず、自国の利益を拡大しよう』としています。だからいつでも「持てる国」になっているのです。上の辞書ではそれを「帝国主義」といっています。  

 21世紀は民族の世紀といわれています。「異宗教からの独立」、「他民族からの独立」、「イデオロギーからの独立」、ことのほか「持てる国のクビキからの独立」が望まれています。強者の論理はこりごりです。「弱者の声も訊いて欲しい」。ネパールのような弱小国に住んでいると、身にしみてそれを感じます。  

 7月7日、また大規模な「都市型同時多発テロ」が起きてしまいました。おりしも、『主要国首脳会議』会期中のことでした。今度はかつての大英帝国の首都ロンドンの商業中心地です。犯人たちの真の理由はともあれ、「主要国」(もてる国)に対する挑戦であることは明白です。そして、あわせて、イギリスに対する報復も見えています。    

 絶対的な強者にはまともな方法では勝てません。「姑息な手段」で勝つほかありません。一発必中を狙います。だから、ニューヨークの「9.11」がまた起こりました。「国境なきテロ」対策には大規模な人海戦術と巨額な対策費を要します。対策費や人手は計算可能ですが、姑息は測れません。つまり、世界が違います。姑息なテロを予知することはきわめて難しいと考えるべきでしょう。  

 テロの対象は軍隊ではありません。無防備の民間人、それも不特定多数を対象にします。彼らにとってはきわめて効果的な戦法といってもいいでしょう。卑怯な手段に違いありません。けれども、これは彼ら弱者が大帝国に勝たねばならぬ『大戦争』なのです。手段は選びません。なんでもありなのです。  

 アルカイダの組織は弱体化されていると聞いています。しかし、その『考え方』はヨーロッパでは広く深く浸透してきているとも聞かれます。イギリスには160万人のイスラム教徒が住んでいます。まだ彼らの犯行とは断定できていませんが、「力」だけでテロを防ぐのは極めて難しいことを証明してしまいました。次がないとはいえません。「大帝国首脳会議」の強者だけでの解決はむずかしいと思うのです。