「ある日本人に誘われて、お金を集め、カトマンズからそう遠くない村に学校を作りました。出来上がって写真が届きました。トタン葺きのレンガ造りの校舎の前での、50人ぐらいの子供達の集合写真でした。」恥ずかしながらも嬉しさを隠せないかわいい写真だったそうです。募金に協力した有志で土産をもって子供達に会いに行こうということになりました。
はるばるやってきたのは、代表者のお婆さんお爺さんグループ7名でした。「明日、日本に帰ります」という晩、夕食にそろっておいででになりました。一同沈んだ様子なので「お疲れですね」と声をかけると、グループのお一人ががっかりした様子でお話くださいました。もう、今回で2度目とのことです。昨年は「大雨で路が流れて、通行不能」、今年は「マオイスト達が村を占拠している」という理由で、いずれも、造った学校にたどり着けなかったとのことでした。昨年は「車でいけるところまで行って、後は徒歩で」との提案もむげに拒否され、今年は「観光客として、マオイストに通行料も払うから」も安全の保障は出来ないと拒否されたとのことのようでした。「その代わりに観光をしましょう」とあちこち名所旧跡につれて行かれたとのことでした。
東南アジアのある国のことです。日本人のNGOブローカーと当国のブローカーが、無医村での診療所の架空の建設プロジェクトを練り上げて、すばらしくよく出来た計画書を作り上げ、言葉巧みに募金をして、他の村のすでに出来ている診療所の写真を撮って送り、お金は両者で山分けという事件がありました。主な手口は、同じ写真を何度も使用して、多くのグループから募金したということです。診療所を造らなかったばかりでなく、診療所何軒分もの金をせしめたわけです。
同じく東南アジアのある国のことです。山岳地帯の貧しい村に、白人女性カメラマン二人が村人達の生活風景の写真を撮りにいきました。ヤギを追い、麦を打ち、臼を挽き、手機を織るごく普通の貧しい山村風景の写真が撮れました。
夜になって、水車小屋のブーゲンビリアの樹の下の小さな空き地にテントを張りました。自炊の夕餉も終わり、あたりが闇につつまれたころ、数人の女性がやってきて、たどたどしい英語で話し始めたそうです。
「この村にはある大国のNGO組織の診療所があります。貧しい村民の健康相談、治療活動をしてくれていましたが、それだけではないのです。診療所ができて5年になりますが、治療された病人が何人も死んでいきました。最近わかってきたのですが、私達は実験に使われているようです。この惨状を外国で訴えてほしい」。眠れない夜になってしまいました。
翌朝のことです。役人らしい男と、制服警官がやってきました。パスポートの提示を求められ、ノートにひかえられました。「昨夜のことは忘れなさい。もしも他言したら、あなた達は国に帰れなくなるだろう」。彼女たちは急いでその村を離れたことはいうまでもありません。その村で行われていたことは、「きっと新薬の実験に違いない」と彼女らは睨んでおりました。あるインターネットで知りました。
「貧乏は金になる」インドの諺だそうです。「カトマンズはショウルーム」ブローカーの言です。「貧乏国の存在価値は金持ち国の食い物以外にありえない」誰の言でしょうか。