私も人並みに、「勤め人を」を33年間やってきました。そして、4年前に定年の歳を過ぎてしまいました。ネパールと北軽井沢での食べ物屋商売に転じて11年が過ぎました。
ネパールへの日本からのお客さんはヒマラヤが目当といってもよいでしょう。定年を過ぎた熟年のみなさんがほとんどです。1950年代に8000メートル峰が次々に登られていくのを、驚きと憧れをもって少年・少女期を過ごされた方がたです。わくわくしながらヒマラヤ登頂記を何冊も読んで、まだ観ぬエベレストやカンチェンジュンガのイメージをしっかり作り上げてきた方ばかりです。そして半世紀が過ぎ、ようやく心と時間の余裕が得られ、あたためてきた夢を実現させています。実にしぶといかたがたです。日本人のしぶとさが遠く離れたこの地のそちこちに観られます。
この11月はヒマラヤの観光シーズンです。日本の各地から「老々男女」の方々がトレッキングにやってきます。わたしも同世代です。チャンスがあって、30年前にヒマラヤの峰にチャレンジしたことがありますが、すでに山屋から足を洗って、老トレッカーに喜んでいただくためのお手伝いをこんなところでやっています。先のチャレンジで高度障害に悩まされた経験もあります。ヒマラヤ歩きの心身の疲れがどんなものかよくわかります。
いま、ネパールは晩秋、山里では芋の収穫に忙しい時期です。イモ類はなんでもあります。特に私の好物は山芋です。いろいろな種類がありますが、牛蒡を太くしたような皮の厚いごつごつした山芋を下ろした「トロロ」は絶品です。改良を加えていない原種なので、灰汁の強さは想像を絶しますが、重厚なねばりは接着剤のようです。しかし、出汁の利いた薄口醤油のたれとわさびをかき混ぜて、おもむろに大口を開いてかけ込むと、出汁とわさびと芋の生臭さが鼻の奥に刺激を与え、かつ喉越しのねばりの感触が絶妙な美味さを現します。「うーん」と唸って、しばし口を閉じたまま。
4年前になります。パキスタンのカラチで魚の大きな商いをされている方が、ラマダンの休みを利用してカトマンズにおいでになりました。カラチは熱帯です。「海のものは喰えても、山のものは喰えねー。何か山のものが喰いてー」。そこで、私がトロロを下ろしてどんぶりでさしあげました。あわてるようにかけ込む彼の表情の変化を想像してください。決して文字で表すことはできません。一気に流しこむと、フーと息を吐いて「ウメー・・・」。彼は山芋20キロを背負ってカラチに戻っていきました。駐在の日本の方々の土産でした。間もなく、「皆さんにこの上も無く喜んでいただいた」との、丁重な礼状をいただいたことはいうまでもありません。
高度障害で、残念ながら中途で下山を余儀なくされるトレッカーの方がおられます。仲間はヒマラヤの懐です。失望の思いはお気のどくを絵に描いたようです。カトマンズは低地(1300m)です。危険からは遠のいていますが、身体の具合はいまひとつ。しょんぼりしながら、当店の暖簾をくぐっておいでです。そこで、待っているのが先の「とろろ」、里芋の「けんちん汁」、これまた旬の「高菜のつけもの」、もやしの「ごまあえ」です。そんな方に元気になっていただくために考え付いたお品書きです。もちろんこれらはサービスです。そんな方は、メニューからご注文を決めるまでに時間を要します。食欲は決まってありません。 ただ手持ちぶたさと心細さで、「日本料理」という看板をみて入っておいでです。「ご注文の前に、まず召し上がって」とうながすと、熱い「けんちん汁」に笑顔を取り戻され、冷たい「とろろ」に「うーん」と声も取り戻されます。「これだ、こいうのが食べたかった」。
「かつどん」「やきとり」「ひややっこ」。「食べられるかな」と思うようなご注文をされ、きれいさっぱり残さずに召し上がります。ヒマラヤを一目みた感激を身振り手振りで話されるうちに精細を取り戻され、これまたサービスの「ロキシー」(ネパールの焼酎)レモン入りお湯割を催促するまで元気を取り戻されていきます。「おじさん、よかったネ」わたしも、自分事のようにうれしさでいっぱいになります。「食べ物屋でよかったネ」。
そんな、11月が間もなく終わりますが、寒さとともに山芋はますます美味しくなっていきます。イノチの「トロロ」はネパールでは「トルル」と発しています。当地が原産です。お見知りおきを。