私達日本人は、インド料理というと、誰しもがナン(Naan)を思い浮かべます。
日本人(私も)はナンが大好きです。涙形の分厚くて、きつね色にこんがり焼けたアツアツのナンはそれだけでも一食に値します。北軽井沢照月湖の私のレストランに、毎日5枚テイクアウトしていただくお客さんがおりました。文学者のかたで、「夜食にちょうどいいんだ」そうです。
私のナンは150グラムです。750グラムを一晩でたいらげることになります。材料の配合から計算すると、結構カロリーは高いはずです。取りすぎになるのではと、いらぬ心配をしていました。そこそこのお年の方でしたから。
ナンは、まず強力粉が主原料です。パン粉です。日本は最高の硬質小麦を輸入して見事なパン粉を生産しています。良質のパン粉が使えました。
ナンは低発泡のパンといってもいいでしょう。中東とか中央アジアではイーストを使うようですが、インドやネパールではベーキングパウダーを使っています。むかし、アフガニスタンでイーストのナンを食べましたが、ぼそぼそでやけにイースト臭かったのを覚えています。あまり上等のナンではなかったのかもしれません。私のナンはベーキングパウダーでした。そして、生卵を加え、砂糖、塩で味を付け、サラダオイルを加えて牛乳と水で練ります。この作業は力仕事です。ナン生地10キロを練るには30〜40分要しました。作業も配合も単純なものです。が、単純なものほど手を抜くとサマにならないことはパンやケーキを焼かれた方はおわかりでしょう。
一般の家庭ではナン焼き窯(タンドール)はありません。したがって、パン屋さんでパンを買うように、主婦や子供達がナンを買い求めます。食事どきにはナンの店には大きな人だかりができていました。アフガンもパキスタンもインドも同じです。中央アジアでは横窯が普及しているようですが、アフガン以東では竪窯です。私も竪窯を使いました。
タンドールは単なる素焼きの壷ですが、熱効率をよく考えて作られています。熱源は木炭が一般的です。壷の底に真っ赤に焼けた木炭を並べておきます。その熱が壷の中を対流し窯全体を温め、かつ壷の壁はおもに伝導熱で温められます。そして木炭の放射熱も重要です。
ナンの生地は大きな涙形に巧妙な手わざで作られます。それをタンドールの壷の中を覗き込むようにして、高温の内壁に貼り付けます。どちらかといえば壁の温度で焼かれます。それに対流熱、放射熱とともに真っ赤な木炭から発せられている赤外線が、あの香ばしさを作り出していきます。パンは直火では焼かれません。主に伝導熱と対流熱を利用します。直火の赤外線は遮断されています。おいしいパン屋さんが軽井沢にはありましたが、先の文学者先生は「パンより美味い。これにかぎる」と注文のナンが焼けるのを覗いていました。「おまえが上手なのではない。炭で焼くから美味いのだ」。目を細めておりました。その木炭ははるばる海をわたってきた中国雲南省産の備長炭でした。
つい先ごろ、中国は森林保護を理由に、生産を中止しました。その備長炭は照葉樹の雑木ウバメガシでつくられます。日本でも生産していますが、きわめて高価なことはご存知でしょう。焼肉、焼き鳥、うなぎの蒲焼、・・・、焼きもの屋さんにとってはイノチを絶たれることでした。
かつて、木炭屋さんに私のネパールとの関わりを話したことがありました。「ネパールにはウバメガシの森林がありますか?」という彼の問いに、得意になって照葉樹林文化の話をしてしまいました。彼はやがて来るであろう「中国の生産中止」を心配していたのかもしれません。