豊かさとは何なのでしょうか。幸せがたくさんあることかもしれません。だから、人によってちがってきます。
でも、家族とか部族とか種族とか国家とかの社会で生きているので、その社会のもつ文化に依存すると思います。だから、豊かさのインフラストラクチャーが文化とか歴史だと思います。
日本人が思う豊かさ、ネパール人が考える豊かさ、アメリカ人が感じる豊かさはそれぞれ違っているでしょう。生活の仕方によって違ってくると思います。みんな違ってみんないい。ということに落ち着けばいいのですが。
地球は狭くなりました。世界中のひとがジーンズをはくように、インターネットをやるように、寿司を食べるように、くるまに乗るように、ケイタイで話すように、世界中、同じような生活をするようになってきています。とうぜん豊かさも同じように思うようになるでしょう。それが広がって、ネパールの山の中まで、チベットの砂漠の隅まで来ています。
資本主義国の豊かさと社会主義国の豊かさは違うのだ、と教えられてきました。だけどそうではなかったことが、いまではわかっています。地球の半分以上あった社会主義の国はほとんどなくなってしまったのです。ひとの求める豊かさは西も東も同じでした。 ですが、どうもそれもおかしいことがわかってきました。
アメリカのイラクでの誤算は、イラク人も日本人のようにアメリカの樹の下で、パソコン、ケイタイ、くるまを、豊かであろうと思うと考えていたことにあると思います。抵抗をやめれば巨額の復興支援があることはイラクの人々は皆知っています。それでも・・・。
ネパールの山の子供達はよく笑います。粗末な衣服、はだし、そんな子供達でも闊達です。そんな暮らしでもお父さんも、お爺さんも、曾爺さんも生きてきました。同じようにやっていけば、彼等も生きていけることをよく知っているのです。だから、安心していられます。それがあの笑顔になって現れていると思うのです。しかしそれがなくなりつつあるのが心配です。
我が日本の子供達は学校でも家庭でも脅されてきました。偏差値です。それは将来の収入に比例するからです。笑顔はありません。将来を恐れて下を向いて歩いています。笑顔は幸せの尺度なのですが。
豊かさはなんといってもお金です。けれどもお金がないから不幸だともいえません。幸せたくさんが豊かであるとするならば、お金だけではままなりません。イラクの人たちの豊かさとは何なのでしょうか。アメリカもイギリスもわかっているのでしょうか。