京都大学の文化人類学者らは、ヒマラヤ山麓の文化が日本まで届いているといっています。照葉樹林文化帯です。稲作技術、高床建築、醗酵技術などはこのヒマラヤ山麓が起源だそうです。インドの一部で使われている言語に日本語に似た単語があるようです。もちろん「訓」の単語です。
日本列島にいつから人が棲み付いていたかは定かではありませんが、筆者の故郷多摩川の流域には氷河期の頃から棲んでいたようです。つまり縄文人たちです。氷河期は今から1万8000年も前です。縄文の歴史は180世紀以上もあったのです。最近の調査で、縄文人たちは、相当優れた文化をもっていたことがわかってきました。米を栽培していました。巨大な木造建築も造っていました。部落社会もかなり高度であったようです。平和な1万年を過ごしてきました。が、あるとき朝鮮半島から弥生人たちが侵略してきました。金属武器を持ち戦いなれたひとびとです。縄文人たちは、ヤマトタケルに蹴散らされました。そして古墳時代、奈良時代を経て今日に至ることになります。
さて、私達日本人は二つの言葉を同時に使っています。つまり「音」と「訓」です。「訓」は縄文語、「音」は大陸、半島から来た弥生語です。あまりにも縄文文化がすぐれていたので、駆逐できなかったと考えるべきでしょう。
一般に「音」は書き言葉、「訓」は話し言葉と言ってもよいでしょう。つまり私達がこころで考える言葉は話し言葉「訓」です。私達は縄文語で話し、考えているのです。いいかえれば私達日本人のこころは縄文人のこころといってもよいと思います。だから今でも「日本人は縄文人」だと思うのですが。それでは縄文人のこころとは?
縄文語と古いインド地方語の類似が注目されて久しいのですが、ヒマラヤ山麓の人々とのこころの類似を探すのはまた楽しみのひとつです。興味は尽きません。