080406

フリー・チベット その 2

 たしかに戸張さんがおっしゃるようにダライ・ラマ側にも問題はあったようですね。ただ情報源が当時の岩波新書、というのは大いに疑問を感じざるをえません。当時の岩波新書は左翼思想の啓蒙書であり、『紫禁城の黄昏』の日本語版でも中国に都合の悪い箇所を故意にカットし、問題視されております。現在は左翼系の学者にも否定的な人が多いようです。

 もっとも岩波新書に限らず、言論界自体が中国にはハエが一匹もいないとか、北朝鮮は地上の楽園、などと言っていた時代ですからね。しかも今と違って判断材料となりうる情報源が乏しすぎますし。

 近代チベットの歴史は大変複雑な経緯があり、私のような無学なものが述べるべきではないのですが、ダライ・ラマ政権の主要寺院は収入の多くを清国皇帝やモンゴル王からの寄付及び満漢人信者の布施などでまかなっておりました。清朝は信仰と自治は認める一方、チベットを保護国とし独立は認めませんでした。また各地の寺は独自の荘園を持っており、そこで働く者は農奴でした。一次産業以外に産業らしい産業のない国ですから、多くの国民が農奴であり、それを一握りの特権階級が支配していたという構図は間違いないでしょう。事実、河口慧海もそれを批判しております。

 事態が変わるのは清朝の弱体化で収入が著しく損なわれたことと、それに乗じて南側からイギリスが食指を伸ばしてきたため、対抗上、西洋式の軍隊をそろえざるを得ず、これに莫大な費用がかかり財政のひっ迫に拍車がかかったことです。ここでダライ・ラマ政権が長年軋轢のあったパンチェン・ラマから免税特権を取り上げた為、パンチェン・ラマはたまらず中国国内に逃亡、中国政府の庇護をうけることになります。

 時は流れ新中国が建国されると毛沢東はチベット人民解放を口実に軍隊を派遣。ダライ・ラマは59年、ついにインドへ亡命します。さて開放されるはずの人民に待っていたものは・・・残念ながらさらなる圧政と民族浄化だけでした。農業政策の失敗による餓死者や拷問や処刑によって分かっているだけでも120万人以上の命が奪われました。チベット人で親戚が殺されていない者は一人もいないそうです。転生して?かの地に残ったパンチェン・ラマもこの光景を見て中央政府に対し、七万語の請願書と呼ばれる請願書を書きます。その結果、政治犯収容所に送られ9年8ヶ月監獄で過ごしました。凄惨な拷問にあったそうですが、本人曰く、拷問よりもその期間、ほとんど誰とも会話させてもらえなかったのがつらかったそうです。

 50歳で亡くなられたパンチェン・ラマですが、その後も北京の自宅に15年近く軟禁さていたので、人生の半分を獄中で過ごしたことになります。それでも死の5日前、ある式典で中国のチベット政策を公然と批判しました。あれだけ酷い目にあい、その後、全人代の副議長という安定したポストをもらっているにもかかわらず、です。

 そこには若き日の胡錦濤チベット主席もいたそうです。この年、ラサ暴動がありました。胡錦濤はそれを武力弾圧しました。その功績で中央で出世する足がかりを掴みます。共産主義は宗教を否定しているので因果応報などという仏教用語を知る由もないでしょうけど、チベット人を虐殺して出世した男が、晴れ舞台でそのチベット人に窮地に立たされている、まさに因果応報・・。

 亡命したダライ・ラマに対し、中国との融和路線を選んだパンチェン・ラマには、西側のメディアは権力欲しさに中国に媚を売った者、という批判的な見方をしておりました。そして私も長らくそれを信じておりました。情報とは恐ろしいものです。やはり一方の話だけで判断してはいけない、あらゆる角度の情報から冷静に、客観的に判断しなくてはいけない、と肝に銘じました。今、私の事務所にはパンチェン・ラマの写真が飾られております。

予断ですが中国政府は生まれ変わったパンチェン・ラマ11世を認めず両親共々行方不明になっております。世界最年少の政治犯と言われたゲンドゥン・チューキ・ニマ少年、当時6歳。生きていれば今年で19歳になります。


 また、ロバ6000頭で金銀財宝を持ち出し、ですが、ダライ・ラマの亡命に追従したチベット人民は8万人いたそうです。単純に頭数で割るわけにはいきませんが、事実であれば13人に一人の割合しかロバが割り当てられません。およそ経典や仏具、鍋釜に衣類ばかりで解放軍が欲しがるものが無かっただけでは?と私は推測致します。

 なにせ日本人が大陸を引き上げる時は共産党にも国民党にもめぼしい物資は全て没収されましたからね。うちの祖父がそうでした。万年筆の一本にいたるまで取られた、と苦笑しておりました。複数の証人や写真についてはいくらでも捏造できる話です。日本の大新聞社ですらやりますし。

 私はチベットの民衆がダライ・ラマを受け入れようが否定しようがそれはチベット本土に暮らすチベット人が決めることであり、部外者がとやかく言う筋合いのものではないと思います。

 そしてチベット亡命政府の長は政教一致である以上、ダライ・ラマであり、やはりダライ・ラマと中国政府が直接会談するのが筋、と考えます。

 騒乱から約三週間、寺院とラサのチベット人街は未だインフラを止められた状態で外出禁止であり、餓死者が出始めているそうです。解放軍は各家庭から一名連行し、飢える家族を人質に取りながら自白を強要しているようです。

 私はチベットと係わり合いを持って15年目になります。その間、多くのチベット人にお世話になり、友人知人もたくさんおります。しかし一方で私はチベットのために何か行動を起こしたことは一度もありませんでした。それが大変無責任なことだったと深く恥じ入っております。

 ネパールでチベット人は厄介者扱いされていることが多いように思います。先日のライジング・ネパールにチベット叛徒は人民にあらず、という記事があったようですね。連日容赦なくネパール警察がチベット人デモ隊を取り締まる様子は主にネット配信ですが日本にも毎日伝わってきます。命がけで亡命してきた先でも待っていたものは結局不当な扱い。胸が痛みます。

 残念ながら日本にいる私たちにいま出来ることは非難の声を上げ続けることだけですが、一人でも多くの日本人にチベットの悲しい歴史と現在も続く人権蹂躙を知ってもらえれば、と思います。

 フリー・チベット!
 (渡邊 崇さん)

参考 1 http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/pl_speaks_text.htm

参考 2 http://nepalreview.spaces.live.com/blog/cns!3E4D69F91C3579D6!973.entry

参考 3 http://nepalreview.spaces.live.com/blog/cns!3E4D69F91C3579D6!974.entry

参考 4 http://nepalreview.spaces.live.com/blog/cns!3E4D69F91C3579D6!977.entry