050820

一生忘れないこと

  たしかに「戦後60年」ばかりでしたね。60年って10干12支の暦が60年で元に戻る、いわゆる還暦。死後60年すれば死者を知る人もいなくなるので、以後は名前のない「先祖」の仲間入りとなって、それまでは「命日」に帰っていた魂が「お盆」に帰るようになる、という意味なんですって、お盆というのは。最近知りました。
 先の戦争については、分かりません。それこそ60年間、そうそうたる知識人が言い続けてきたのに、いまだに納得できないのだから、私なんかには分かりません。

 7月初めのTVで、「東条英機の孫」という老婦人が祖父東条のことを話すのを聞きました。最後の御前会議から帰った東条は、自室の布団に正座して号泣したそうです。開戦を阻止できなかったからだと。もう、誰にも止められなかったのではないか、大きなうねりのような力の波が開戦に向かって日本を押したような(正確ではありません)。しかし、多くの人を死なせた罪は七度死んでも償えないと。そして、東条の家族ゆえに受けた差別をたんたんと語って終わりました。
 そこに主席していた櫻井よしこさんは感想をもとめられ、「感動しました。なぜかと言うと、一族としてしっかりと責任のありかを見定め、逃げておられない。立派な方と思いました」。私は久しぶりに大人の女性の話を聞いたと思いました。

 6月の初め、私は10日間ほど沖縄にいました。海が目的なのですが、一人旅だったので、海以外のところにも行きたいと思って那覇からバスに乗って北に向かいました。読谷村でバスを降りて、その日の朝TVで見て知った「読谷山花織」(ユンタンザハナウイ)の人間国宝の織手の展覧会を見にいきました。地図ではバス停から会場まで歩いて行けるとみたのですが、縮尺の読み違いで実はとても遠かったのです。知らない私は一人でサトウキビ畑の中をトボトボと歩いて、ようやくたどり着いた村役場で道を聞いたら親切にも車で送ってくれたのでした。

 そんなことがあってから1週間後にNHKのTVで「沖縄・よみがえる戦場・読谷村民2500人の証言」が放映されました。読谷村は14年をかけて村民の重い口に語らせて綴った「村史」を後世に残そうとしたということです。私が歩いていたサトウキビ畑で黙々と働いていた証言者の一人、90歳の婦人、何本もの深いシワのある無表情なその人は、なぜ今まで体験を語らなかったのか、という質問に対して、「他人に話してもわからん」とだけ言いました。

 「本当にそうだ」と思いました。だから語らないか、少しでも伝えようとするかの違い。「その時に」「そこに生きていた」、そのことの幸・不幸、運・不運。宇宙(?)全体からみれば砂粒ほどもない、けれどもその生き物にとっては「全て」である一生の命、運・不運を背負ったそういう命の累々とした積み重ねであると思う、歴史というものは。
 今まで一度も命を脅かされたことのない私は、読谷村の人々の体験を本当に分かることはないけれど、「他人に話してもわからん」というおばあさんの言葉は一生忘れまいと思っています。(西 綾子)