青山学院山岳部 Aoyama Alpine Club (2001 Feb. 8)

 現役を励ます会 平成13年2月8日に青学会館で開催

 木村君を亡くしてから、約3ヶ月。遭難後の山岳部をどう立て直すべきか、現役の顔を久しぶりに見た。以前の彼等からとは全く違った発言を聞き、事故のもたらした影響の大きを改めて感じる。山岳部主催の追悼式はご遺族のご意向を受け、一周忌の後を予定している。

永井OB会長の挨拶

遭難当時をふりかえる井上君

山岳部部長、高橋教授



追悼 山岳部部員、木村秀樹君は20世紀も最後の年の10月30日午後、北ア唐沢岳東尾根にて遭難。   20歳の生涯を閉じられました。

 木村君とは去年10月22日に行われた恒例の上高地・明神での山岳部慰霊祭の翌23日に、山岳部「あずさヒュッテ」で会ったばかりでした。その丁度一週間後に、永井OGから木村君が亡くなったと聞かされた時は、思わず絶句。「何でだ」と我を忘れた。
 思い出すに、23日は小屋では永井夫妻と家内達が豪華な?夕食を準備して、現役全員との食事を楽しみしていた。ところがその日の夕方に穂高屏風岩の登攀を終え、合流する予定の4年の伊藤君と2年の木村君が戻らなかった。連絡が取れないまま、中尾主将はじめ残っていた現役4人と心配しながらの夕食になり、折角のご馳走も生憎であった。翌早朝探しに上高地に上がった中尾、古城両君から明神館で二人に会ったと電話が入り、岩場で時間を取られビバ−クをしたが無事であったことを知り、小屋に笑顔が戻った。小屋に帰って来た彼らの顔見て、はじめて正直ほっとする事が出来た。その時見た木村君の一年経って逞しく成長した姿は、まるで別人のようだった。早速、心配を懸けた皆に労られながら照れ臭そうに食べていた二人が印象は深く、その時が木村君と会った最後になった。
 こうした伏線があっての、永井OGからの遭難の知らせだったため大変なショックを受けた。
 今彼を思い出すと、如何にも山岳部部員らしいシャイな、山に魅せられた純情な若者であった。私と同姓の故か、親しみがあり入部以来話す機会も多くあった。そんな彼を亡くしたことはやるせなく、悲しい。

前夜ビバ−クして戻ったばかりの伊藤君と木村君(右)、おどけてみせた。

永井OGが腕を振るった心づくしの食事に、感激して鱈腹喰って大満足の二人。


一年前の木村秀樹君は上高地・明神館でそして山岳部慰霊碑前で、初々しかった。

昨年秋、山岳部慰霊祭のため初めて我々と明神館泊まる。

先輩と一緒にスト−ヴを囲み、心から楽しんでいた様子。

慰霊碑を前に秀樹君。この時どんな感想を持ったのか?



山岳部と遭難事故
 嘗て、一年後輩の柴野栄一君を北アルプス穂高北尾根で喪った。その時の絶望的な悲しみが、今また襲って来るとは夢にも思わなかった。今回の遭難を知り故柴野君と同期であった秋山君から、木村秀樹君の死を悼みそしてご両親のお悲しみに思いをよせるメ−ルを貰った。山で仲間を失った我々は十字架を背負って生きてきたことを、50年が経ちそして70歳を越えた今改めて感じた。

 絶対に山では死んではいけない。そうした思いから毎年行われるのが、山岳部部員参加による明神の慰霊祭はではなかったか。そうした祈りも無力であったのか。遭難そして死から完全に免れないのであろうか、山登りははたしてスポ−ツなのか、疑いは尽きない。山岳部の存在を改めて考えさせられる。絶対に事故を起こさない万全の対策が立てられるか、否か。答えはそこにしかない。

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