|
ロストポジション2 |
||||
|
空を飛ぶことは、道もない標識もないところを行くわけだから、自分の現在地を見失うことは致命的な結果をまねく。山で迷子になるということも遭難を意味し、死に至る場合もある。2013年の統計によれば、山岳遭難は全国で2713人、そのうち1134人43%が「道迷い」であったという。 今は、GPSなどの電波機器のアシストがあるので、道に迷うことも少なくなったようだが、山では地図とコンパスで現在地を知り、方向を定めるのが基本である。一すじの道をたどるのは容易であるが、山では林業者がつけた道、獣道、廃道、分岐点などが入り交じっている。道標などしっかりしたものがある分岐でも、一応地図で現在地を確認するようにしたいものである。南アルプスで経験したことであるが、とつぜん道が消えて低いトンネルのようになっている場所に出た。獣遥に迷いこんだのだ。気がついて引き返し、幸い登山道にもどれたが、迷い込んだ獣道は往復二度通るので立派な踏み跡になってしまうのだ。要注意! また、分岐の「ような?」ところにきた場合立ち止まって来た道をふりかえり、まわりを見回す習慣も身につけたい。さらに山域全体を広く見渡す、鳥緻的な眼をもつことが大切なのではないだろうか。展望のひらけた尾根筋であれば、遠くにみえる山は何山か、を地形図で読み取り現在地を確認する、ということは、ふつういつもやっていることである。私は若いころに深山幽谷でイワナを釣ることを覚えた。そのおかげで、ピークや尾根筋の意識と同時に、水系の意識ももつことができるようになった。山奥深く切れ込んでいる谷や沢の名前、その水はどの川に流れ下って、日本海にそそぐのか、太平洋のどこで海にでるのか、を思いめぐらす。その流れの淵にひそむイワナの姿まで見えるようで、次回の釣行の計画にまで思いは広がる。 イワナを釣る谷の奥に見えかくれする山稜が、かつて若いころに登った山々であれば、なつかしさと充実感が心を満たす。良きかな。 |
||||